hinanogotoku’s diary

社会に疑問をもつオタクの雛言

二兎を追う者は一兎をも得ず

美周郎と謳われた,周瑜が述べたとされるのはあまりにも有名な話である(私からしたら)

 

「目標がいっぱいあってもうまくいく試しがないから,とりあえず1つに専念しちゃいなYo!」

 

こんな感じの意味である。

 

 

私はあまりこの言葉が好きではない。

 

何にせよ人生は1度きりなのだと考えると,追うものが多くなってしまう。

 

 

最近,あまり調子が良くない。

GWに入り,久々スイッチを完全オフにしたせいであるだろうが,ハードルを越えることに怖気づきやすくなっている。

 

再起を図るなら,スモールステップとしてまずは容易なものからこなしていけば良いのだが

私の性格上,日々の生活にすら捕まえるべき兎が至る所でぴょんぴょんしてしまっている。

 

捕まえ方は分かっているが,1日に狩る兎の匹数は抑えないとやってられない。

 

 

だから今,私は感じている。

 

二兎を追う者は一兎をも得ず

 

私は,何匹の兎を追っている??

 

 

 

 

人間の性というのは,簡単には変えることはできない。

私という人間は,やはり臆病である。

大きな失敗するのが怖い。

失敗する際には,予防線を張り巡らせ,軽度に抑えるのが私のやり方である。

 

常に,リスクを天秤にかけ,物事を取捨選択し,遂行している。

だからこそ挑戦することは容易いのであるが,同時に小さな失敗を多く繰り返すこととなる。

 

チャレンジする母数が少なければ,失敗の数も多くはならない。

 

 

 

まあ,なんだ。

あくまで私の場合は,かもしれないが。

人間,失敗する時には,それだけの事をしてきたと考えるのが自然なのだろう。

 

私は,以前よりかは自分が好きだが,嫌いな点もかなり多い。他者から承認されることの少ない人生を送っているせいもあり,自分自身である程度認めてしなわなければ,やってられないのである。

 

 

 

ほんと,普段の自分のスペックと比較して,調子悪い時に出来なくなって失敗するのがムカつく。

 

多くの人は普段からこなしてること,気分や状態に左右されようと,根性で乗り切れているように感じる。

 

しかし,私は………。

 

HSPだとか内向的だとかアダルトチルドレンだとか。

私を表現しよう肩書きは色々あるのだが,それを言い訳にするのも見苦しい。

 

肩書きで表される人間である前に,私は一人の個人であることを尊重したいのだがら,弱さを認めてなお立ち上がる必要があるのだ。

 

 

 

弱さを認めて,立ち上がる。

 

これが本当に難しい。

 

弱い自分を受け入れる度,無力に感じるのだ。立ち上がる気力すらなくなる。

 

 

 

 

 

今の気分が整理出来たような気がする。

 

大丈夫。

 

今の私はかなり調子悪い。

けど,頑張って学校には向かえているし

就活スケジュールも確認しようと奮起している。

 

十分だ。

それだけ出来れば。

既に追っている兎は1匹では無いのだ。

何匹か逃したところで,ある程度の贅沢はできる。

 

 

うん。

 

 

 

 

 

 

 

話を変える。

 

GWに関して

「俺は(私は)休んでないから偉いんだ!」

と豪語するバカがTwitterに多数出現している。

 

なんにも偉くないし,可哀想とすら思わない。

その選択を選んだのは,結局のところ本人なのである。憐れむ必要があるだろうか,いやない。

 

 

ああいう傷の舐め合い?的なところは,みていて腹が立つ。だから私はあまりTwitterを開こうとしないのだが……。

 

 

HSPだと感じるのは

「言葉」から,多くのものを受け取りすぎている点にもあると思う。

あるいは,他者から。

 

読書も歌も声優さんも好きだ。

他人と接するのも,面白い。

 

しかし同時に,それら小さな行為から

大きなことを受け取っているのが私である。

 

 

やっぱ,生きにくい人生だわ。

 

所詮は,マジョリティにとっての世の中でしかない。

世間的に広く認識されてることしか配慮されず,いまだその多くが多数決で決められている。

本質を重要視する風潮など存在しえない。

 

 

 

馬鹿らしい。

 

 

 

これ以上記載すると,あまりいい事はなさそうだから今日はこれまで。