hinanogotoku’s diary

社会に疑問をもつオタクの雛言

原稿用紙10枚分救いを求めてるわけだが、どうせ叶わぬ願いである

 

無気力だ。

 

何もしたくない。

 

寝るのさえ嫌になってる。

 

昨日

 

五等分の花嫁

よんでから、そうなった

 

 

……って書くと、五等分の花嫁が悪者になっちゃうね。

 

 

あれは最高だったよ。

ベタといえばベタだけど

女の子を可愛くかけてたし

男の理想の「恋」を描いてたんじゃないかな??

 

私は一花推しです。

 

二次元にいくら「恋」しても

怒られませんしね笑

 

 

 

 

こんな事かけるけど

 

ほんと、無気力です。

 

 

今日も説明会。

今日も学校。

 

後ろむくと、あとが詰まるし

明日は休みなので、今日はやるしかないって感じてます。

 

「頑張る必要ないじゃん」

 

って言葉は、現実を見てないセリフで嫌いです。

 

誰も頑張らなくていいなら頑張らないでしょ。

やるしかないんだから、やるんだしね。

 

 

昨日は、ほんと、やばかった。

今もかなりやばいけど。

 

Twitterで、助けを求めてみるが、誰からの「助け」も来なかった。

 

うん、これが普通……なんだろうね。

 

10年くらい、ずーっと、助けられてなんかないし。

 

期待なんて、してないけど。

 

……期待は「したい」。

したくても、現状がこうだからね。

 

女子とか、それでよく悩み相談だったり、問題解決に動いたり出来るのが羨ましい。

 

私は、ないからな。

 

①男だから

②気分屋だから

③何回も求めてるから

④解決出来るような悩みじゃないから

⑤人望がないから

⑥そもそも期待してないから

 

 

要因なんていくらでもありそうだ。

 

 

 

助けの求め方が分からない。

人に助けをこうても、ホントの悩みを解決出来た試しがないから。

 

 

ほんとの悩み、ってなんでしょうね。

 

① どうしたら他人に「期待」出来るようになりますか??

 

自分は自然と、防衛機制を働かせている。

内容はこうだ。

「期待」であれば

ある一線までは、「期待」しまくっている。

その「期待」は、必ずしも叶う必要のないことであり、崩れても自分の奥底に被害は及ばない、そんな「期待」。

 

「期待」している事で、「期待」できない人間だと思わない、思われないようにしている節がある。

 

これは、「本音」とか「弱み」とか

大体の自分に当てはまること。

 

自分の中枢を守ることに全力で

外殻は深くまで剥き出しなのだ。

 

だから、本心からの「期待」なんてのは出来ていない。

 

エピソードはありふれたものではあるが

1番しんどかった時期に、周りに助けを求めても、1ヶ月以上、誰も真摯に向き合ってくれなかったから。

 

親、先生、友人。

無理やり押しかけられることもなかったし

心動かされることもなかった。

 

ありふれた言葉で話をされ、

「そんなん分かってる」程度の叱責をもらっただけだ。

 

 

フィクションなら、ここで助けてくれる人がいるらしい。

 

比企谷八幡であれば、由比ヶ浜さんとか雪ノ下さんとか。

杉崎鍵であれば、生徒会メンバーだとか。

ああ、別にヒロインである必要もないんだよ。

あまり男同士の友情作品が思いつかなくてだな……

 

 

 

フィクションだけならいいんだけどね

 

現実世界でも、そういった感じの泣けるエピソード、よく聞く。

 

 

私には来ないんだなー、ってなるよ。

 

あーあ、もういいや。

 

 

②恋愛心を犠牲にするのをやめたい。

 

自分で助かるしか道がなかったから、

助かるために、何かを犠牲にした。

その1つが、恋心なんじゃないか、って感じる。

 

「恋」というものを、「非現実」とし、そこにありとあらゆる「期待」をのせ

いつか自分のみにも、その「奇跡」が訪れると「期待する」ことで

 

生きている

 

 

 

こんな生き方、ずーっと、やだなー、って思ってる。

 

無理だよ。

そんなの。

叶いっこない。

 

 

 

③私の本心を返してください

 

昨晩陥ったのは、これだった。

 

結局、自分ってなんなのか、訳がわからないんだ。

 

 

ひとりでに立ち上がった私は

生き抜くために、ありとあらゆる「模倣」を繰り返した。

それが今の外殻。

 

中枢は、元々の自分なんだけど

出ることは、もうないのかも。

 

 

 

こう言う人がいる。

「過去も現在も未来も含めて全部お前だろ」

 

そうだよ。

だから、過去に閉ざした現在の自分のパーツを、未来に向けて解き放ちたいんだよ。

 

今の「模倣」だらけの継ぎ接ぎな自分を否定はしないけど、こっから前に進むにはもうそろそろ限界なんだよ。

 

 

これ以上やると、自分がなくなりそうだ。

 

 

 

自分自身で生きたい。

 

なのに、今の自分には、自分がわからない。

 

 

ここで、「悩んでるのが自分だ」みたいな理論を言われても正直困る。

 

結局解決しないから。

 

 

「解決することが重要ではない」

とか、言われたこともあったかな。

 

 

随分と、無責任だね。

他の道を探りに探って

問題を解決せざるを得ないから、解決するしかないに

 

放置して回り道を繰り返すしかない??

 

 

殺意だよ。

 

 

 

 

自分一人じゃ、もうどうしようもない。

 

でもさ、他人に助けを求めることも出来ない。

こんな悩み、10人いたら9人は、何も答えられない。

残り1人が出す回答は

大抵、自分が知りえているような浅い答えだ。

 

 

そんな現実を理解しているから、色々動き回ってみたが。

まだ、得られてない。

 

 

これからも探し続けるんだろうが、もうやだなぁ。

 

 

 

こんなんだから、

「解決するのを諦める」

ように言われるんだろうね。

 

 

 

「人は完全体出ないがゆえ、理解しきることなど不可能である」

 

だろうね。

 

 

なんでもいいよ。

 

 

自分を教えてくれ。

自分を取り戻させてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

自分を否定し、挑み続けた代償には最近気づいた。

 

得意、と呼べるようなことがないことに悲しくはなっていたが

それは同時に

自分を失っていたように感じる

 

道がないんだ。

好きなことに臨む道が、本当に少ないんだ。

 

その道を進み続けた人達には、どうしても勝てない。

視野や経験で勝っても

圧倒的な差がある。

 

それに、そういった自分の強みを理解してくれる人は、ほんとに極僅か。

 

あまりにも不利すぎる。

 

でも、自分が選んだ結果なんだよね、これ。

 

 

そう考えると

ほんと、あの時救われたかったな、って、他責的な後悔が募る。

 

あの時

私を追いやった人達に

罪の意識なんてきっと無いんだろうな。

 

 

殺して自分の過去がやり直せるなら

テロリストにでもなって、世界を破滅させるくらいのモチベーションもあるんだろうが

 

悲しきかな

何しようとかえってこない。

だから、謝罪されても嬉しくないし。

 

そもそも、謝罪なんてされないけど。

 

 

私も、幾多の人を傷つけてきただろうし。

 

どうしようもないんだろうな。

 

 

そんな、どうしようもないことに

助けて欲しい、と言ってるのだから、手のつけようがない。

 

 

そんな悩みを人にぶつけること自体、嫌になる。

 

 

 

もっと、弱くありたかった。

ただただ、自分を悲劇のヒロインとして

傲慢にも嘆き続けるだけでよかった。

 

知り過ぎると、強くなると。

自分を救うための道が、狭くなるだけで。

 

 

あえて傲慢になるなら

私は、めっちゃ努力してきたんじゃないかな。

努力してない日なんて、ないよ。

 

 

それなのに、

大して頑張ってもない奴らが

自分の境遇に嘆き悲しみ、救われてるのがムカつく。

 

 

 

ないのか、私には。

 

 

 

ある人に

「お前は苦手なことから逃げ続けてきた。努力が足りてない」

って、怒られたことがあったな。

 

 

はははははは

 

 

そう見えるのか……苦手なことにしか、挑んでないんだけどな……逃げてすらないんだけどな……。精一杯やってるけど、下手くそなだけなんだけど……。

 

 

自分を悪く見せる印象操作が働いているのかな。

悪く見せる必要なんてないんだけど……

なんか、疲れたからかな。

 

 

 

心療内科や心理学ってのは、どうも私には使えなかった。

中身を知らなかったら良かったのかも。

私には、合わないや。

あれじゃ、私を救えない。

 

綺麗事を並べているだけ。

 

忍野さんの「勝手に救われる」理論は

私のそれには通用しない。

 

適用できる範囲には適用し切った。

 

 

 

 

 

ああ、脱力しきって

弱くなればいいか。

 

そこに救いはないとしても。

他人を傷つけることになっても。

いいや、自分がこれだけ苦しんだんだ。

 

どうにでもなれ。

 

 

無理に救われた気になるのも、もうやりたくないな。

 

色々努力してるし、様々なお話を聞ける。

協力は、それなりにしてもらえる環境にはなってる。

 

有難いお話を聞く度に、自分は聞けてよかったと感じ

捨てたもんじゃない、って感じるけど

一方で、本心が満足してない。

 

 

涙出ても、心からの涙じゃない。

防衛機制としての、涙だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

他人からしたら、私の過去など知ったことじゃない。

私は今日も、模倣を重ねて張りぼての自分で

そこそこの強さを発揮して、生きていく。

 

嘆くだけではどうしようもないからだ。

動いたところで、どうしようもないんだけどね。

 

 

 

 

 

もうなんでもいいから助けてくれないかな