hinanogotoku’s diary

社会に疑問をもつオタクの雛言

また新しい自分と出会ったから――更新遅れてしまったごめんなさい!

普段より高い場所(ベッド)で寝たから

あまり眠れなかった……

 

そのおかげ?かどうかわからないが

 

久々に頭が覚醒した

 

●寝れないのもあって、色々と考えてみた。

 

自分自身を振り返ることは、茶飯事なのだが

 

そこで考えつくようなアイデア

俺が生み出しているものだから

堂々巡りに過ぎない。

 

何度やっても、導き出される答えは、自分の中にある答えにすぎない

 

そう言われたのを思い出す。

その通りだとは思う。

 

なら、新たな考えに辿りつくには

自分以外のだれか、すなわち誰かに頼るしかないのだろうか。

 

答えは、ノーだ。

 

むしろ、誰かに求める方が難しいことだろう。

 

相談したい内容が軽いものであるなら、話しは変わって容易であろう。

 

しかし……人の人生に影響するような

大きな助言を求められる場合

 

あるいは、自分を動かしてくれるような

活気的なアイデアを他人に求める場合

 

よほど自分という人間を気に入ってくれる相手出ない限り

期待するものが得られるとは到底思えない。

 

自分のことを一番知っているのは、自分自身だ。

 

主観性のみで、客観性の欠如が謳われるのは当然だろう。

だから、自分の意見のみで自分を語ることの難しさは否定できない。

 

ただ、過去の自分と現在の自分、未来の自分

感情や経験などを踏まえて総合的に図るなら

 

自分自身がなにより自分に詳しいのは当然だ。

 

じゃあ、他人に頼らず、かつ堂々巡りにならないようにするにはどうしたらいいか。

 

未来の自分と相談するか?? ――オカルトにもほどがある。

 

俺がいいたいのは、

他人から直接得るのが不可能であれば

間接的に得ればいいということだ。

 

具体的には

読書

ブログ

映画

etc

 

人が生み出した産物から得ればいいと思うのだ。

 

 

●産物を読むということ

 

異能バトルは日常系のなかで」に登場する相良君(だったと思う)は

 

自分は読者である

 

と称していた。

 

 

 

自分は主人公ではなく、登場人物でもない。

ただ、読者として(バトルに)参加している、と。

※本質的には少し違う気がするが。

 

俺も、自分が読者だと思っていた。

いや、本を読んでいるときはただの読者に過ぎないのだが……

 

 

俺が本を読む理由は、他にもあった。

それは憧れ――人間に対する尊敬の念が、そこにあった。

 

生徒会の一存」シリーズの杉崎鍵に出会った時は、電撃が走った。

 

――何なんだこのカッコいい人間は!!

――俺も、こんなふうになりたい!!

 

本気でそう思って、生徒会に入るなどした(事実)

 

まぁ現実はそう甘くない。

俺が杉崎になり得る事は出来なかった。

 

出来なかったのだが……

 

「ひなごと君って、ヒッキーに似てるよね!」

 

俺は生徒会の女の子から、比企谷八幡に似ていると言われた。

 

………………え????

 

 

その頃は、何とも言えない気持ちになった。

 

ある時は

――(考え方が)似てるかもしれないけど、由比ヶ浜いろはすも小町ちゃんも

   いないじゃないか!!!!

 

と、嘆いたこともあった。

 

そう、俺は、物語の主人公ではないのだ。

あくまで、現実にいる、無力な人間でしかないのだ。

 

だから俺は、フィクションに憧れている自分に嫌気がさした。

 

●ここからが本題……?

 

話をさかのぼる。

 

冒頭で、’頭が覚醒した’と表現したが

それは’スッキリした’というわけではなく

 

ひと月に一回くらい、妙に頭が冴えわたることがある。

 

その時の自分の考えは、結構面白いのだ。

 

 

今回考えたのは

俺が、なぜ比企谷八幡に似ていると言われたか、について。

そこから派生して

俺にとっての読書とは、について。

 

色々と思うところはあったのが、実は書いてる現在は頭が覚醒していないのと

他にやっていることがある、こともあってか

あまり集中して記事を書けていない(言い訳)

 

だから、結論から述べさせてもらう。

 

俺にとっての読書とは、生き方の勉強そのものであって

俺は、’物語のキャラクターのように生きること’を

好んでいるようだ。

 

だから、人とは違う生き方に戸惑うのであって――

ノンフィクションでフィクションを実現させようとしているから

しんどくなるのだろう。

 

フィクションに憧れることに、悲しさを覚えてはいたものの

そもそも、目に見えている汚れた生き方を真似したなど、到底思えなかったのだ。

 

だからかな。

杉崎鍵にはなれなかったにしろ、比企谷八幡になれた?のは

大前提として、フィクションで生きてきたから、なのかなとおもう。

 

で、それが分かったからとはいえ

別に生き方を変える必要もないとは思った。

 

憧れているキャラクターのスペックがあまりにも高くて

俺はそれになれなくて、劣等感を抱いていたのだが

 

そもそも、フィクションのように生きるって、かなり難しいことだった、こともあって

 

率直に、かなりチカラが付いてるのだと分かった。

 

いや、これ自慢とかじゃなくてね

 

いじめを受け、学校に居場所がなくなっても、立ち直ることが出来て

現在でいえば、虐待ともとれる行為があった環境の中でも、立ち直ることが出来て

救われることがないままでも、立ち直ることが出来たのって

 

なぜかわからないが、物語から色々と学んで

力を得た結果だと思った。

 

 

●うーん、文字にすると難しい――これからのこと

 

で、今日一日は、冴えた頭で過ごしていたんだけど

家族一人一人が、面白く感じてしまった。

 

社会的な立ち位置で言えば、一番クズなのは俺だと思っているんだが……

 

なんだろう。

 

行動の理由が、いかに簡単であって

悩みの種の多くが、むかし自分が直面していた問題であって

これからどう転んでいくかも、ある程度は想像できるんだけど……

 

そう、あれだ

 

世の中をストーリーとて読み解く

という行為が、出来そうな気がした。

 

自分の立場はどうあっても変わらないが

考え方や見方は変えることが出来る。

 

以前に

本を読むのが得意なら、リアルも本のように読めばいい

と言われたことがあるが

当時は

ーーいや、ノンフィクションはクソだし、面白くない――

って思っていた。

 

けど、なんか自分のチカラの理由が分かってスッキリしたこともあって

そのチカラを用いることにちょっと意味が出てきたな?って感じたから

 

自分を、物語の登場人物に仕立て上げることが出来た

 

ノンフィクションの中で、フィクションで生きることが

そろそろ出来るような気がした。

 

うん、登場人物でいいや。

最終的に、杉崎みたいな素敵な男になれれば嬉しいのだが

道が険しすぎる。

だから……そうだな、具体的な名前があまり出てこないけど

友人A、とかでいいや。

 

むしろ、そこになれるのであれば、十分な快挙であろう。

 

 

 

この記事って、俺が趣味で書いてるものだから

何をどのように書いても、特にお咎めは無いとは思うんだけど

しばらくはまた、脳内の整理に使うと思う。

 

明日は――フィクションの登場人物としての生き方

について、書いて生きたいと思う。

 

 

まぁ、気分次第でそれすら変わるかもしれないが(笑)