hinanogotoku’s diary

社会に疑問をもつオタクの雛言

賽は投げられていた

行動すること

 

それに何らかの意味を見出しているからこそ

俺はこうやって今、久しぶりにブログを書いているのだろう。

 

 

最近、ブログを放置していたわけだが

 

次にいつ更新するか、というのはなんとなく決まっていた。

 

決めていた、というわけじゃない。

 

そもそもが、ブログは俺にとって

外部へアプローチするための補助ツールであり

自分の考えをまとめるためにあるものだから

 

更新するタイミング、というのは

何らかの意味を持つときであろう。

 

一時期続けていた毎日更新も

俺がどこまで継続できるか

を図るものであり

自分で築いた障害をどの程度取り除けるか

を試すものだった。

 

今回は、“よう実”を全巻読み終えた だから

ブログを書くことにした。

 

“よう実”を読んだら、なにかしら「動く」

そう決めていたから、その意思を固めるためにブログを書くのだ。

 

 

 

読書というものは、俺にとって生きる意味に等しい

 

前にも綴ったが

俺の世間の人間への興味は、さほど高くない。

はっきり言って、面白くないからだ。

 

目に映る人間のほとんどが

関心をもつに値しない。

 

無論、俺より優れた人間は無数に存在しているが

今回の論点はそこじゃないから無視しておく。

 

 

俺は、自分が人間関係が苦手

だと、ハッキリ自覚している。

 

その原因の中で

俺が1番に懸念している点は

自分より愚かな人間に興味を抱かない

という、俺に根付いた価値観である。

 

 

考えなくとも、この価値観のまま社会で実行するのはまずい。

いや、それこそトップに君臨できるほどの人間であれば、敵を多く作る程度で済むだろうから

価値観に疑念を抱く必要が無いのかもしれない。

 

 

オレは馬鹿だが、自分の立ち位置程度は理解している。

それも、謙遜も過大評価もない

模範解答に近い形で。

 

 

なら俺が社会進出するに至って

今、この価値観を持っていってよいのか

そんなのは言うまでもない。

 

 

これまでの傀儡としての俺は

自分をへりくだってみることで

一定の防衛を働かせていたみたいだが

 

今思うと、なかなかに無理なことだった。

 

へりくだり過ぎて、自分を見失って

なにもかも嫌になってしまったのだから。

 

 

そういうのは俺の性分じゃない。

出来ないことは、出来ないのだ。

 

 

この問題を解決するのは、読書だと思っている。

 

リアルには僅かしかない、

神聖視できる“面白い”人間たちが

そこには記載されているのだから。

 

 

俺は、ワクワクする。

この方々のように、俺が実行すれはどうなるのか。

環境、設定、世界観、実力、技能など

到底相容れないものばかりであるから

そんな輝かしいものでは無いのはわかる。

 

ただ

 

本は人の産物である

 

という事実がある限り

 

本こそが人間の理想の完成形

 

であるという

俺の価値観にヒビ入ることは無いだろう。

 

 

だから俺は読書をするし

その度に強く影響を受ける。

 

強く成長する。

 

そしてもう

後戻りすることが出来なくなったのも確かだ。

 

 

 

いや、余計なことを口にするのは避けておこう。

 

もっと対外的に、喧嘩をふっかける発言を記載するつもりでいたのだが

デメリットはないが、メリットもあまりないと感じた。

 

 

 

ただ、一つ言うのであれば

 

人間の行動を読んだり、操ることってのは

フィクションではなく

俺ですらある程度簡単にこなせる

 

ってのが分かった

 

ってことだろう。

 

 

いや、前から分かってはいたかな。

大学あたりからは、既に察してはいたし。

 

 

それを最近になって

自分が優位に立つために、利用しだした

だけ。

 

 

自分が物語の主人公になるって

こういうことなのだと思った。

 

モテモテ俺TUEEEE主人公ではないし

平凡ラッキースケベ主人公でもないんだから。

 

 

いやーな主人公だが

俺には輝かしい主人公を務めあげる適性がないからなぁ。

 

そういった主人公の末路って、どうなるんだっけ?

 

ハッピーエンドであれば嬉しいのだが......

 

ま、淡く期待を持っておくとするか。