hinanogotoku’s diary

社会に疑問をもつオタクの雛言

20201011 まーただよ。「絶対的」VS「相対的」

眠い時には勉強はしない

 

どうも、こんばんは。

ひなごとです。

 

今回は「幸福」について

自分なりの価値観でお話ししていきたいと思います。

 

 

幸福には2種類あるらしい

 

とある記事によると、幸福には2種類存在しているらしいです。

所説ありですが、こう分類できますよー、という感じです。

 

・「絶対的」幸福

・「相対的」幸福

 

またこの対比ですか……

私は大好きです。

 

「相対的」幸福

 

まずは説明が簡単なほうから話をしていきます。

 

「相対的」幸福、

すなわち、

他者と比較したうえで感じることのできる幸福

ということですね。

 

例えば

「〇〇さんよりお金を多く持っている」

だとか

「ついに社長の場に上り詰めた(上下関係)」

だとか。

比較する対象がいて初めて成立する幸福のことです。

 

恐らくですが、人間が意識している「幸福」のほとんどって

この「相対的」幸福になるかと思います。

 

 

「絶対的」幸福

 

対して、「絶対的」な幸福というのは説明が難しいものです。

 

「生きているだけで幸福」

だとか、そういった類のものでしょうか。

 

色々な記事を参考にさせてもらいましたが

自分の中でしっくりくるものが少なかったので、具体的にはお話しできません。

すみません。

 

この2種類の「幸福」について、どちらがより「幸福」なのでしょうか。

 

「相対的」な幸福には際限がない

 

結局のところ、「相対的」な幸福ってやつは

飽くなき渇望

でしかないのですよ。

 

人間、どこまで登りつめても満足しない生き物らしくて

常に人間が「幸福」を求めてもがき続けるのは

満たされることのない欲求を満たすため

であるらしいです。

 

私の考える「幸福」

 

これ以上記載すると、元記事を写すだけの面白くないものになってしまうので

ここからは私なりの考えを述べていきます。

 

私は……幼少期のころから人の目がすごく気になる人間で

無意識のうちに他人と比較ばかりしているような人間でした。

だからこそ、自分の欠点を無くそうと動いたのかもしれません。

強いところに目を向けず、弱いところばかり見ていたのでしょう。

 

そんな私は、現在「幸福」だとは思っていません。

 

そりゃそうですよ。

仕事もなければお金もない。

功績もないし、彼女だっていない。

 

周りと比べたら、なーんにもない

 

そう感じない日なんてないです。

 

無いですけど……

 

別にそれでいいかな、って感じました。

 

あ、現状に満足するとか妥協するんじゃなくて

 

藻掻いている自分でいいや、ってことです。

 

 

私は、そんな自分に

ある種の「価値」を見出しました。

 

一重に「価値」=「幸福」とまでは言えませんが

 

諦めきれずに、前を向いている姿勢こそが

いいことなんじゃないかな、って思います。

 

その動機が、誰かと比べて……になってしまうのは仕方ないとは思うのですが

 

他人を蹴落とすため

ではなく

自己成長のため

であれば

「相対的」であっても「絶対的」でもある

そんな「幸福」を手に入れる姿勢になっているんじゃないかなって思うんですよ。

 

 

私は、二元論が好きじゃないので

どっちがどっち、みたいな考察はいらないと思っています。

 

いらないと思うからこそ、その対立している要素と

共通する部分を見出して、自分なりの答えを導き出すんですけどね。

 

 

今日はまとまり切れず、こんな感じで終わってしまいます。

申し訳ございません。

 

……眠いです。

 

 

眠い時は、無理に頭を働かせることをする必要はないと思います。

そこでサボった分、元気な時に取り返したほうがかえって生産的です。

 

社会人でないからこそ出来ることですが

それはある種の強みだと考えて

いまあるリソースを大事にしていきましょう。

 

 

 

ここまでのご拝読、ありがとうございました。